lunes, mayo 30, 2005

レゲトン・クラシックス#1

Playero DJ 40 "New Era"
Featuring Yankee Man, Ruben Sam, Prieto y Polaco, Mansion Crew, Gringo y Baby Rasta, Grupo Nizze, Q Mcdaree, Danny Banton, Miguel Play, Rey Pirin, Don Chezinna, Frankiy Boy, Mexican, Point Breakers, Tito, DJ Black, Manek, M.C., Kalil, Baby Shabaa, Rankin Stone, Original Q

ぼくが、聞いた最初のレゲトンです。1996年のことです。さすがに今では全体を把握することも可能ですが、当時は「何が起こっているのか分からない??」くらいの衝撃がありました。こんなことは、パンクに接したとき、全世界に打って出る前のグルーポ・ニーチェのライブをメキシコで見たときくらいでしょうか。人生とおしてそんなに数多くない経験のひとつと言えると思います。この頃プエルトリコのマイナーなレーベルから出ていたアルバムはヒップホップ・サイドとレゲエ・サイドと分けられて録音されたりもしてたのですが、このCDでは、もうレゲトンという名前は付いてなくても、自分たちは何か新しい音楽をやっているという確信めいたものが感じられますね。このCDやこの頃のアルバムで最も光ってるラッパーといえばMexicanなんですが、2001年にこのジャンルのアーティストとしては初めて米国資本のレーベルとサインして、KRS-ONEをゲストに迎えてアルバムを出したのを最後に、暴力事件か何かで塀の向こうの人になっちゃいました。先日のテンポといい惜しいといえば惜しいんですが、こうしたことも何かこのジャンルらしいことだとも思いますね。逆にジャンルの神話化に貢献してるような気がします。

色々レゲトンの起源について話されていますが、それははっきりこのPlayeroとDJ Nelsonだと言えるのじゃないでしょうか?サルサが盛りあがってどうしても押さえが利かないとか、ここにある、それにダディ・ヤンキーのラップのちょっとキレちゃった感覚はプエルトリカンしかできないんですよね。ドン・オマールのアルバムに入ってるDJ Nelsonの犬がワンワン鳴いてるトラックもさすがこの人でちょっとおかしなこの人のセンスがよく出ていてぼくのお気に入りです。それにN.O.R.Eの、「Oye mi canto」のビデオもじつにプエルトリカンな感覚だと思います。この曲は、クラブの盛りあげ曲ってことでよく取りあげられるみたいですけど、ぼくはこのビデオ見るたびに何とも言えない悲しい感じになるんですよね。どんどん落ち込んでいく感じ。病気の時に聞くと危ないと思うけどなー。ぼくはこういう大げさな表現が大好きなんですけど、この曲は歴史を変えるインパクトがありますね。事実、後世の人がアメリカ大陸が今までと全く違った大陸になる、そのちょうど転換点に流行った曲として思い出すんじゃないでしょうか。ラテンアメリカのメディアでは、レゲトンは「革命的(revolucionario)」という形容詞とよくくっつけられて語られてますが、アメリカ大陸で、今起こっているのは、実際革命なんじゃないかとも思います。

ぼくはこうした初期のムーブメントを2003年に纏めて『ラティーナ』に記事にした後、まぁちょっと飽きちゃってほとんど聞いてなくて、今年になってCD屋さんにレゲトンのCDが並びはじめてても他人事みたいにして、高橋悠治さんがバッハを弾くのを追っかけてるような生活だったんですが、ダディ・ヤンキーを出している会社の方にある日突然記事を依頼され、あげくはまたこんなブログをはじめてる始末。色んな意味で人生は分からないもんです(笑)。
*クレジットにYankee Manとあるのはダディ・ヤンキーですね

横須賀ミステリー?

今月の『CDジャーナル』に載ってる「横須賀米軍基地潜入記:熱いレゲトンの夜」。著者による現場写真が見られます。タイトルをクリックしてください。潜入記はこっちです。名代子照犬☆日々是メキシコ

domingo, mayo 29, 2005

レゲトン奴隷19号語る。

グーグルで「レゲトン」検索してたら、ぼくのサイトの下にあったんですけど、このブログ面白いです。いちばんレゲトンらしい記事かな?

"レゲトーン女の人がミニスカートで逆立ちしてM字開脚してダンスすることって・・・んなバカな!

あたしはそんなこと決してできませんっ!(涙
(てかしませんよ。スピーカーの前があたしの定位置ですから

ずーっとレゲエだと思って聴いてたのがレゲトンだとつい最近判明しました。"遅咲きガールの狂い咲き日記

sábado, mayo 28, 2005

レゲトンの歴史(2)

同じ頃、ビコCがスペイン語でやったラップやメレンゲとラップをミックスした“メレンゲ・ハウス”ブームの最高潮にあった。ビコCは当時プエルトリコで最初のものの一つであったレゲエ"bomba para afincar"を録音しているが、プエルトリコではまったく注目されることはなかった。90年代前半のパナマでの状況はというと、ジャマイカのレゲエのイメージをそっくりそのまま維持することだった。ジャマイカで80年代の終わり頃やられていたような、様々なアーティストのアルバムを、楽器一つで作ってしまうやり方もマスターしていた。

プエルトリコでは92~93年頃にジャマイカのレゲエが聴かれはじめている。カッティ・ランクスの "Wake de man"や"Limp by limp"、シャバ・ランクスの"Dem bow"、ミシガン&スマイリーの"Pounder"など、もっぱら動きの激しい曲が流行した。こうして、パナマのレゲエもプエルトリコへ輸入されることになった。ナンド・ブームの"Dem bow"、ポチョ・パンの"Pantalon caliente"、ラ・アトレビーダの"Dulce"などがよく聴かれた。さらに、グリンゴ・マンや偉大なエル・ヘネラルの世界的なヒット曲があった。 "Muevelo"や "Son bow"が有名だろう。この当時のプエルトリコの人たちがレゲエを好んで聴くようになったということも注目していいだろう。

Todo el día Reggaeton

ウニビジョンラジオが所有するニューヨークのラジオ局の一つ、ラティーノミックス105.9FMが突然編成を変え、昨日の午後から“La Calle 100% reggaeton”になった。

匿名希望のある筋によれば、この変化は数週間前に、幹部が人員の配置を変えはじめたときからで、オペレーションの責任者フリオ・ベルガラの解雇も噂されている。

締め切りまでに、ウニヴィジョンの公式見解得ようとしたが、ウニヴィジョン側からの連絡はなかった。el diario

miércoles, mayo 25, 2005

レゲトンの歴史(1)

今日から何回かに分けて、『レゲトンの歴史』を翻訳したものを掲載します。一応、ムンド・レゲトンのものを元にしていますが、インターネット上に同じテキストが様々なサイトに載っています。ちらっと確認しただけで、英語、フランス語、それになぜかカタルーニャ語にも翻訳されてました(ビスケ・バルサ!)。たぶんこれは最初の日本語訳だと思います。

スペイン語のラップ&レゲエ“レゲトン”の歴史を少しばかし。レゲエは、70年代にジャマイカで生まれ、時代の移り変わりとともに、ほかのリズムと混ざり合い変化していった。パナマはレゲエをスペイン語にした最初の国だった。1985年、チチョマンだった。プエルトリコは、スペイン語のラップを最初にやった国。ビコCが最初だった。

アメリカ大陸の二つの地点で起こったこの出来事はその後、パナマではジャマイカの歌が、同じ楽器を使って、同じメロディで歌詞だけを変えながら歌いつづけられた。プエルトリコでは、アメリカのものと同じトラックを使っていたが、スペイン語のまったく新しい歌詞と曲をつけていた。

その後、92年から93年頃、パナマ人が演奏するジャマイカの曲の“カヴァー”が国境を越えてラテンアメリカや合衆国で聴かれるようになってきた。ポチョ・パンやナンド・ブーム、グリンゴ・マン、エル・ヘネラル、ラ・アトレビーダなどがあげられるだろう(最後にあげた二人がパイオニアであり、オリジナルの歌詞とトラックを使った数少ないアーティストだった)。

martes, mayo 24, 2005

bounce

タワーレコードで無料で配布している『bounce』にもレゲトンの特集が載ってます。渡辺美雪さんの簡潔でわかりやすい解説に、いい加減な訳のダディ・ヤンキーオフィシャルインタビュー。ディスクガイドつき。ディスクガイドの解説は多少的はずれなところもありかな?

“速球王クルーン”テーマ曲ヒット

日本プロ野球界に現れた最速球の男、横浜ベイスターズのマーク・クルーン投手(32)が登板時に流れる曲が人気上昇中だ。プエルトリコ出身の歌手ダディー・ヤンキー(28)のデビュー曲「ガソリーナ」で、日本で無名ながらオリコンチャートに27位で初登場した。米国ではラップ界の「即興王」として君臨し、現在日米で計155万枚をセールス。「速球王」とどちらが早く「160」の大台に届くか注目される。
 クルーンの159キロのスピードボールは、音楽界の“即興王”の軽快なリズムから生まれていた。22日の西武戦でも150キロ台を3投。セーブを挙げ、勝利に貢献した。この日もマウンドに向かう際、場内に流れたのがダディー・ヤンキーの「ガソリーナ」。テンポのいい楽曲に乗って沸き上がるスタンドに、自らを奮い立たせた。

 ヤンキーは、90年代後半にプエルトリコでレゲエとヒップホップを融合して生まれたラテン音楽「レゲトン」のトップシンガー。全米デビューアルバム「Barrio Fino(邦題ガソリーナ)」はこれまでに150万枚を売り上げ、全米ビルボードのラテンチャートで1年間TOP5をキープするなど大人気。クルーンもスポニチの取材に「とにかくレゲトンのビートが好きなんだ。米国にいる時からこの曲を聴いていたんだ」とうれしそうに明かした。

 さらに、自らのテーマ曲に選んだ理由を「“火の玉ボーイ”をHE’S GUSと呼ぶんだけど、スペイン語でガスをガソリーナと言うんだ。ぴったりの歌だよね。何よりこの曲を気に入っていることが一番さ」と説明。相性もバッチリで、日本盤が発売された今月11日に159キロの日本記録を達成。祖母がプエルトリコ人という縁もある。

 来日してから日が浅く、日本語が分からない生活が続く中「音楽ばかり聴いている」というクルーンにとって、同曲は何よりのカンフル剤。CDが日本でも5万枚を突破し、今夏にヤンキーの来日が検討されていることについて「一緒に何か?もちろんだよ」と笑顔で夢のコラボレーションを約束した。
スポニチ[ 2005年05月23日付 紙面記事 ]

日暮里Saludもレゲトン

モフォンゴさんのBBSからの転載です。

ココから→
みなさん今晩は。

 レゲトン、盛り上がっているみたいですね。
週刊マンがの裏表紙にDaddy YankeeのCDが紹介されてたり、
随分知名度がアップしているみたいです。

 でもって、宣伝にて恐縮ですが、
この掲示板にも登場したことのあるDesordoさんと一緒に、
 レゲトンをメインにすえた DJイベントを開催することになりました。
レゲトンだけではなく、元になっている
ラテン音楽なども交えてスピンする予定です。

 平日ではありますが、みなさんのご参加を
お待ちしています。

<< レゲトン特集 >>
【日時】2005/5/30 20:00-24:00
【開場】日暮里Salud!
    http://www.club-salud.com/
【Tel】03-3807-2150
【参加DJ】
 ・Desordo(レゲトンのDJ)
 ・まつし(サルサなどラテン系のDJ
    http://www.norinorisalsa.com/index1.html)
【入場料】エントランスフリー

 会場である日暮里サルーでは、毎週月曜日に
テーマを指定して曲を流すという企画が行われています。
今回は、このテーマの1ジャンルとしてレゲトンを
位置付けていただきました。

 皆様のおこしをお待ちしております。

lunes, mayo 23, 2005

ブルックリン横町

bmr』に載ったダディ・ヤンキーとテゴ・カルデロンのインタビューでにわかにファンになった渡辺深雪さんのブログを見つけました。
テゴ・カルデロン=インタビュー裏話などもあります。

ベネズエラのレゲトン

ベネズエラのレゲトンに関する記事を翻訳しました。
これからのレゲトンがこうなるという一つの方向ではあります。プエルトリコ~マイアミあたりを中心にして、ヒップホップ版のリミックスになる北米と、すでにバチャータ版が出ているカリブ海。イービー・クイーンがやったようなアコーディオンを使ったバジェナートバージョン、その地方の特色で色んな味付けになるっていうのがしばらくつづくのではと思います。


レゲトンは領土を拡げつづけている。ベネズエラには、オスカル・エルナンデスとフランコ・ベジョーモによる独自のスタイルがある。約5年の間、エルナンデスとベジョーモは、ポップとバラードに専念していた。二人ともA5のメンバーだった。2年前ほどに、また違った方向でやっていくことにし、流行のレゲトンのクリオージョバージョンをやることを決めた。

エクトル&ティト、ドン・オマール、ダディ・ヤンキー、ビコ・Cが歌い、オルガ・タニョンヒルベルト・サンタロサシャキーラアレハンドロ・サンスのデュオまでもが挑戦しているのがレゲトンだ。
賛成する人も反対する人もいた。

「二人でいっしょにやるという話しは、カジェ・シエガのオフィスから来たんだ。彼らがコンタクトを取ってきて、ぼくがオスカルに言ったんだ、いっしょにやろうよって、それでいっしょに曲を書いて仕事を始めて、8曲作品にした。その中の一つが、“La Cachorrita”だったんだ」。こう語るフランコは、カリーナやルディ・ラ・スカラ、イホス・デ・ラ・カージェなどとともに仕事をしてきている。

-なぜ他のジャンルじゃなくてレゲトンだったのですか?

オスカル●カジェ・シエガはぼくたちにメレンゲをやらないかと連絡してきたんだ。それでいくつか作ってみたんだけど、“La Cachorrita”をレゲトンでやってみることにしたらそれがうまくいったんだよ。今じゃ露天でガンガン流してるし、携帯の着信もレゲトン、この曲はテレベンのドラマの主題歌なんだ。A5といっしょにプエルトリコにいたときに、レゲトンを知ったんだ。こっちでは誰もやってないから、エクトル&ティトとドン・オマールにコンタクトした。でやってみることにしたんだ。

-ベネズエラ製のレゲトンというのはどんな感じなんでしょう?

フランコ●どんな音を加えるかによるかな。ベネズエラのレゲトンはプエルトリコのレゲトンのエッセンスを残してはいるんだけど、ベネズエラの楽器を加えている。クアトロとかタンボーラとかサングエオなんかだね。“La Cachorrita”みたいにサルサをミックスしたりもするよ。

オスカル●プエルトリカンのスラングを真似したりはしないんだ。歌詞はちょっとユーモラスな感じで、ずっとベネズエラ風だ。独特な発音はしているけれどね。

-カジェ・シエガの他にはどんな仕事がありますか?これからやるものとか。
フランコ●曲を書いたり、プロデュースもしてるよ。musicof2@hotmail.comでプロジェクトを募集してるからメールしてね。今はカジェ・シエガのチーノ&ナッチョのリリースを準備している。これはレゲトンでそのためにマイアミやプエルトリコとコンタクトを取ってるよ。それと、Bjoっていう女の子とか、Apaっていうグループも手掛けてる。彼らはマルガリータ島の出身でバチャータやクンビアやいろんなリズムを使ってロックをやるんだ。

オスカル●レゲトンのデュエットで、ミスター・ブライアンとオマール・エンリケがやる"Pase lo que pase"という曲を書いてる。他にはジュースやお菓子のコマーシャルのジングルを作ったり、政治キャンペーンの曲を書いたり、RCTVの"De boca en boca"のためにレゲトンを書いたり、ロス・ティグレス・デ・アラグアの曲を書いたりね。

-運の他に、ヒット曲を出す秘訣は何なんでしょうか?
オスカル●音楽に形はないんだ。ある日浮かんで、どうしたらできるだろうって考えて、アーティストを決めて、どうやって何を伝えようかと考えるんだよ。

フランコ●ぼくらは、プロデューサーやミュージシャンのプランに沿ってはやらないんだ。まず観客の立場を考える。どんなものを欲しがってるんだろうってね。まぁでもみんなと一緒で運なんていうのはほんの少しで、努力次第だってことだ。Ahorre.com

domingo, mayo 22, 2005

Yankee en MTV PR

ダディ・ヤンキーは今日、グアイナボのショッピングセンター、サンパトリシオ・プラザにあるMTVプエルトリコのスタジオを訪れる予定だ。

"Dale caliente"で有名なこの歌手は、スタジオに集まったファンたちと話しをすることになっている。このスタジオの外壁はニューヨークのものと同じで、ガラスでできている。

またVJのトリニとユージンによるインタビューで、スペインとメキシコ、合衆国をプロモーションで回ったときの体験談を約1時間語ることになっている。

この訪問は、国内の有名人がスペシャルゲストとしてスタジオを訪れるシリーズの一環のひとつとなっていて、昨日はフィエル・ア・ラ・ベガのメンバーが、木曜にはビコCとジョニー・プレスのラッパーらが来たという。El Vocero

jueves, mayo 19, 2005

ミスター・ヴェガスもレゲトン

ミスター・ヴェガスもレゲトン
(2005/05/19)
1998年のデビュー以来、レゲエ界の貴公子とも呼ばれ、ショーン・ポールとのデュエットの大ヒット等、ジャマイカだけではなく広く活動を広めてきたミスター・ヴェガス。約1年振りとなる新作がリリースされます。

7月6日発売予定で、タイトルは『クロス・オーバー(仮)』。ダンスホール・レゲエを中心にしながらも、多彩なダンス・ミュージックとのクロスオーヴァーした内容で、今人気の“レゲトン”にも挑みます。
そのリディムによく乗る歌声の良さがミスター・ヴェガスの個性。期待させます。

<収録予定曲>
・Winery
・Constant Spring(sleeping dog riddim)
・Popito Lunytunes Remix(REGGAETON)
・Nanny Bounce
・Hot Tamales DJ Kazzanova Remix feat.Don Chezina(REGGAETON)
・Gully Gangsta
・GUNCLAP(gunclap riddim)
・Oh Johnny(REGGAETON)
・So Jamaican Tan(STEPFATHER riddim)
・Gasolona DJ Kassanova RMX BPM Daddy Yankee、Mr.Vegas&Nore(REGGAETON)
・Love you to death
・Pobre diabla DJ Kassanova Remix Don Omar&Mr.Vegas(REGGAETON)
・Beat Drop
・Black Woman Wine
・Wife feat.flava unit(applause riddim)

 avex trax AVCD17704 税込み2100円 OngakuDB.com

miércoles, mayo 18, 2005

『Latina』 6月号

もう店頭に並んでるところもあると思いますが、『ラティーナ』6月号にレゲトン記事書きました。ダディ・ヤンキーのオフィシャルインタビューも載ってます。

sábado, mayo 14, 2005

P.ディディ、Bad Boyからラテン部門レーベルの設立を発表

[2005年04月29日]
ファット・ジョー(Fat Joe)やジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)など、HIPHOP/R&Bの世界でもヒスパニック系アーティストの活躍が際立ってきている中、P.ディディ(P. Diddy)が、リル・ジョン(Lil John)も所属する今一番勢いのあるメジャー・インディ・レーベルTVTから昨年"M.I.A.M.I."をリリースしたマイアミ出身のキューバ系アメリカン人、ピットブル(Pitbull)と共にBad Boy Latinoの設立を発表した。

マイアミ・ヘラルド紙のインタビューにP.ディディは「全世界で今最も急成長している分野だから、無視できない。HIPHOPとヒスパニック系(カリブ海や中南米出身者及びその子孫)の人々の世界を融合させることで、より多くのヒット曲を生むことができる」と語った。

アーティスト契約だけでなく、マーケティングを担当するなど経営にも参加するピットブルも、同紙のインタビューに「世間はP.ディディが流行に飛びついたと思うだろうが、俺に言わせれば、P.ディディは音楽業界の一歩先を見ることができる人なんだ。ラテン系アーティストの強い味方さ」と語った。(t)notrax

viernes, mayo 13, 2005

ダディ・ヤンキー

ラテン・ミュージック・シーンで、15年以上も安定した成長を続けてきたダディー・ヤンキーは、レゲトンのアーティストろして広く知られるようになった。
プエルトリコの日常的な文化の中に潜む、恋愛や友情関係への思いを綴った彼の作品は、クラブ・シーンに定着したレゲトンのクラシック的な存在だ。NASとのコラボレーション (二人は 「The Profecy」 を一緒にレコーディングした) や、ミックステープの伝説、そして有名DJであるトニー・タッチと一緒にアルバム 『The Peace Maker』で共演するなどの機会をもたらした。テラー・スクワッドの 「100%パーセント」のPVにカメオ出演もし、『One Tough Cop』”のサントラには彼の曲 「Posicion”」が含まれもした。
2003年には「Los Home-Runes」が記録破りのセールスを達成したあと、プエルトリコの伝統的なロベルト・クレメンテ・コロッシアムで、満員の観客 (12,000人強) とともに踊りまくったイベントを実現。彼の並はずれたフリー・スタイリングの才能、そしてエネルギッシュなステージ・パフォーマンスによって、ファンは熱狂し、マスコミはそれを絶賛した。“Ahora Le Toca Al Cangri” と題されたこのショーは、ヤンキーの歌手生活にとって最も重要な舞台となり、レゲトン・ミュージックにとっても歴史的なイベントとなった。
そして2004年7月、いよいよアルバム『ガソリーナ』が発売された。レゲトン・ミュージック・ファン待望のアルバムだ。子供の頃から、一貫したサルサ・ファンだった彼は、このアルバムでプエルトリコの伝説的なサルサ・シンガーの一人 Andy Montanez と、“Melao” という曲で共演を果たした。そればかりではなく、このアルバムは彼の今までの作品の中でも、断然、完成度の高い作品に仕上がっている。『ガソリーナ』で彼が狙ったのは、レゲトン・ミュージック・シーンにおける自分の地位を維持し続けるということだけではなく、このジャンルを広く紹介し、競合するアングロ・マーケットにクロスオーバーして行くことだったのである。OngakuDB.com

miércoles, mayo 11, 2005

bmr JUNE 2005 No.322

今月も、ブラック・ミュージック・レビューは、レゲトン特集です。ダディ・ヤンキーとテゴ・カルデロンのインタビューですが、充実しています。スペイン語でも英語でもこれだけの内容・分量はあまりないのではと思います。インタビュアーは渡辺深雪さん。必読です。blus interactons,inc

テンポに24年の禁固刑(2)

テンポの弁護士、リチャード・ダンソーは、2002年にテンポはもう一年近くも芸能活動を行っており、プエルトリコにはいないのだから、彼に麻薬を売った嫌疑をかけるのは無理があると主張していた。

しかしながら裁判官は、陪審員の量刑は動かしがたいもので、疑いのないものであると結論づけ、量刑を軽くすることは難しいとした。

「私は独自に量刑を計算しました。一日一日、月ごとに精査したら、たしかに彼が島外にいた月がありました。それは2002年の5月のことです。しかしたった19日間です。証人によれば、ある月に彼は2㎏のヘロインを売っています。疑いありません」こう言明した。

ドミンゲス裁判官は、テンポが5人のグループで主導的な役割を果たしていたことを示唆した。

「これは、私の裁量です。残念ながら情状の余地はありません」こう連邦裁判官は明らかにした。

弁護側は、証人フェルナンド・パガン・フローレスの、“事件から手を引こうとしたとき、テンポとブッダはいなかった”という証言に触れることを主張した。

「フローレスは2001にテンポはいなかったと言っています」こうデンソーは主張した。

同様に、弁護側はテンポがヘロインを売ったとされる時期に、彼がマリファナを持っていたと言うものはいても、ヘロインを所持していると証言する者はいない、と主張した。

「万が一テンポがそこにいたとしても、彼がヘロインを売ったという証拠はない。それがヘロインの取引だったという記録はまったくない」こう強調した。

ウォーレン・バスケス検事とともに公判を担当したアントニオ・バソン検事は、判例に則った最大の量刑を求めた。「プエルトリコを覆う深刻な問題であり、麻薬密輸犯に対し見せしめになるようになれなければなりません」こうドラマティックに語った。

ドミンゲス裁判官は公証人とともに量刑を計算した後、当該する判例に則り、292~295週間拘束すると判決した。

陪審員の一人が、テンポの友人であり彼とともに訴えられていたブッダことフランシスコ・ムリエル・カスティージョの無罪を言い渡した。テンポには、ヘロイン、コカイン、マリファナ、クラックを含む大量の麻薬を保持し、それの売買を共謀したとして有罪とした。

さらに、テンポが30㎏もの大量のヘロインを扱い、彼が麻薬組織で指導的な役割をなし、武器を使用したと認め刑を加重するとした。Primera hora 23/04/05

話題のプエルトリカン・ラッパー、ついに日本上陸!

昨年夏からニューヨークのクラブシーンで急激な盛り上がりを見せている最新型ラテンミュージック、レゲトン。レゲエとヒップホップをミクスチャーしたこのプエルト・リコ産サウンドの中心人物であるダディー・ヤンキーが、ついに日本デビュー。日本のクラブシーンでもすでに話題を集めている5曲目に収録の「ガソリーナ」は、フロアを盛り上げるアゲアゲチューン。レゲトンのビートとダディーのスペイン語ラップは、一度聴いたらヤミツキになることうけあい。Music@nifty

miércoles, mayo 04, 2005

レゲトン!Reggeaton!って一体なんなのさ??

レゲトン検証ブログができてますね。

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ども。ブラックミュージック総合ファンサイト【Untitled】を、気ままに運営しておりますNattyと申します。ちょいとアメーバブログを、お借りして、今話題のReggeaton(レゲトン)について、気ままに書いていこうと思いますんで 、どうぞ宜しくお願い致します☆コメント、TB、大歓迎です♪みんなで熱くいきまっしょぅ☆