sábado, mayo 28, 2005

レゲトンの歴史(2)

同じ頃、ビコCがスペイン語でやったラップやメレンゲとラップをミックスした“メレンゲ・ハウス”ブームの最高潮にあった。ビコCは当時プエルトリコで最初のものの一つであったレゲエ"bomba para afincar"を録音しているが、プエルトリコではまったく注目されることはなかった。90年代前半のパナマでの状況はというと、ジャマイカのレゲエのイメージをそっくりそのまま維持することだった。ジャマイカで80年代の終わり頃やられていたような、様々なアーティストのアルバムを、楽器一つで作ってしまうやり方もマスターしていた。

プエルトリコでは92~93年頃にジャマイカのレゲエが聴かれはじめている。カッティ・ランクスの "Wake de man"や"Limp by limp"、シャバ・ランクスの"Dem bow"、ミシガン&スマイリーの"Pounder"など、もっぱら動きの激しい曲が流行した。こうして、パナマのレゲエもプエルトリコへ輸入されることになった。ナンド・ブームの"Dem bow"、ポチョ・パンの"Pantalon caliente"、ラ・アトレビーダの"Dulce"などがよく聴かれた。さらに、グリンゴ・マンや偉大なエル・ヘネラルの世界的なヒット曲があった。 "Muevelo"や "Son bow"が有名だろう。この当時のプエルトリコの人たちがレゲエを好んで聴くようになったということも注目していいだろう。

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