miércoles, mayo 25, 2005

レゲトンの歴史(1)

今日から何回かに分けて、『レゲトンの歴史』を翻訳したものを掲載します。一応、ムンド・レゲトンのものを元にしていますが、インターネット上に同じテキストが様々なサイトに載っています。ちらっと確認しただけで、英語、フランス語、それになぜかカタルーニャ語にも翻訳されてました(ビスケ・バルサ!)。たぶんこれは最初の日本語訳だと思います。

スペイン語のラップ&レゲエ“レゲトン”の歴史を少しばかし。レゲエは、70年代にジャマイカで生まれ、時代の移り変わりとともに、ほかのリズムと混ざり合い変化していった。パナマはレゲエをスペイン語にした最初の国だった。1985年、チチョマンだった。プエルトリコは、スペイン語のラップを最初にやった国。ビコCが最初だった。

アメリカ大陸の二つの地点で起こったこの出来事はその後、パナマではジャマイカの歌が、同じ楽器を使って、同じメロディで歌詞だけを変えながら歌いつづけられた。プエルトリコでは、アメリカのものと同じトラックを使っていたが、スペイン語のまったく新しい歌詞と曲をつけていた。

その後、92年から93年頃、パナマ人が演奏するジャマイカの曲の“カヴァー”が国境を越えてラテンアメリカや合衆国で聴かれるようになってきた。ポチョ・パンやナンド・ブーム、グリンゴ・マン、エル・ヘネラル、ラ・アトレビーダなどがあげられるだろう(最後にあげた二人がパイオニアであり、オリジナルの歌詞とトラックを使った数少ないアーティストだった)。

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